榎本家住宅 
(旧小川家) 兵庫県津名郡五色町鮎原上944

主屋 木造/平屋建/入母屋造/本瓦葺/平入り/江戸期
離れ 木造二階建一部平屋/入母屋と切妻造/本瓦葺
長屋門 木造/入母屋造/本瓦葺/大正9年の棟札がある     

photo:山田修二

 昭和35年に編纂された鮎原村史によると、鮎原は山地が多いがよく開墾され、米の生産も多く、たばこ、茶、畜産、果樹栽培が盛んであると記されている。旧小川家は、この村史に鮎原上村の旧家として登場する。                       
 「小川福三郎宅:白巣城の家老けで、文化の棟付帳には延宝年間己に住居とある市右エ門はその先祖である。」と記されている。そして文化天保の棟付には天保時代の五人組に庫助(小川)とある。
 村長を務めた福三郎は明治元年の生まれであるが、この屋敷で誕生したとされるので、建築年代は明治元年以前ということになる。
 五色町鮎原は、播磨灘に面した西海岸と大阪湾に面した東海岸のほぼ中央に位置している。起伏の多い田畑の中にいくつかの家屋が点在し、ひときわ目をひく屋敷構えが旧小川家である。長屋門を入ると正面に主屋、その奥に座敷と蔵とが一棟になった離れがある。明治41年の家相図を参考にしながら現状をみると、西側の茶室、浴室、東側の便所はなく、長屋門は現在と平面が異なっているがこの時点で建っている。大正9年の棟札は改築した時のものだろうか。主屋の座敷に隣接して浴室、便所が新しく作られたが、往時の姿をよく残している。
 主屋は入母屋造本瓦葺、平入りで南、東、西に下屋をまわす。入り口の東側が土間、その北側は現在では床を貼って台所になっている。家相図に○場とあるので、元は主屋の東側が奥まで土間だった。食い違い六間取りで、9畳のオモテ、8畳のヒロシキ、3畳のゲンカン、8畳のオク、7畳半のクチナンド、6畳のダイドコロであった。現在クチナンドとダイドコロは、いろりのある板の間となり、食事のできる団欒の間として使われている。ヒロシキ南側の4畳とゲンカンの3畳、オクも現在は板貼になっている。
 室内は松丸太を半分に割り、縦に重ねた梁でその間に丸太の梁を挟む独特の架構である。天井は竹小舞の土天井で、ところどころに差鴨居がある。主屋の小屋組は、吹き抜けに天井が貼られているため見ることができない。
 離れにある蔵と座敷は現在一棟であるが、棟と母屋が蔵と離れの座敷の間で継がれており、垂木はそれぞれで異なっていることから、主屋と蔵が最初に建てられ、蔵と一棟になるよう座敷が増築されたと考えられる。離れの蔵側が切妻、座敷側が入母屋の屋根となっている。離れには9畳と6畳の座敷と8畳の大きさの部屋、蔵がある。
 長屋門は入母屋造で北側は土庇になっている。入り口の東に作業場が二つ、西側は供部屋になっている。敷地西側は本瓦葺の物置があり、その壁は外から見ると塀のように見える。
 所有者は当住宅を保存し、都市と農村を結ぶコミュニティとして、多くの人々に訪れてもらうことによって、歴史のある建物の良さを広め、理解を深めてもらおうと考えている。
 当住宅を活用するために部分的に改造されているが、江戸末期の名家の構えを残しており、五色町の代表的な建物の一つということができる。
 登録有形文化財の登録基準“ニ 造形の規範となっているもの”に該当するものと考えられる。 (石井智子)